昭和の匂いが残る 内子

肱川あらしの赤橋が知られる長浜から肱川をさかのぼります。

DSCF3848

今は予讃線が峠をトンネルでぬける中山経由で走っていますが、私が学生のころまで予讃線は長浜経由の海沿いを走っていました。そのため、内子に行くためには大洲の一つ手前の五郎駅でで内子線に乗り換えていました。

この内子線は、‎松本零士の書いた銀河鉄道999が考えだされたところでもあります。この内子線沿いに疎開をしていた松本氏が内子線を走る列車をもとに書いたのがこの漫画だそうです。それにちなんだイベントも開かれています。この内子線、今は予讃線の中の一部として残っています。

内子町は昔から和紙や蝋の地場産業で栄えた町でした。その古い街並みを町博をきっかけに再開発して、観光地によみがえりました。今はたくさんの観光客が訪れるところとなりました。

現在では、ミシュランガイドにも選定されています。

DSCF1080

DSCF1054  DSCF1051

DSCF1055   DSCF1062

上芳我邸が街の中心となります。町一番の豪商で木蝋資料館として公開されています。

DSCF1107

DSCF1108 DSCF1105

DSCF1100

DSCF1106   DSCF1084-2

昔ながらの、蝋燭を扱っている店です。やさしい灯りで癒されます。

e0117096_6542460

e0117096_6535210 e0117096_2014757

e0117096_70726

明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかしながら、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの要望により復原され、今日に至っている。今日では、歌舞伎のほか、各種講演やまちづくりの会合等に活用されている。 ウィキペディアより

e0117096_13434533

e0117096_13434628 e0117096_1343462

e0117096_1343461

e0117096_13434675

イベントが行われていないときは、裏舞台まで見ることができます。

少し足を延ばして、山の中にはすると、こんな風景が見られます。

13915810757_47b725ea1e_z

14027773762_a2e83b3e35_z

石畳という集落です。春になると、枝垂れ桜が美しいところです。