どこかに行きたいなぁ〜旅行記〜

定年バックパッカー

メキシコ日記 4


今日も4時に目がさめた。まさに老人の生活である。

そろそろ日本に電話でも入れておくかと思いフロントに行くと眠たそうな顔をして係の人が出てきた。

昨日に続き早くから動いているので、ここのホテルの人達は日本人は早起きと思い込んだであろう。

部屋からの直通の国際電話は使えないので、フロントに頼んだのである。

頼んでから20分ほどかかって日本に通じる。

電話回線はあまり発達していないようである。

電話の後、今日の予定をフロントに言っておくことにした。

今晩はオアハカに泊まるつもりなので帰らないと言う事を伝えようとしたのだが、なかなか理解してくれない。

部屋をそのままにしておくという事が理解できなかったようである。

泊まりもしない部屋代を払うという事をである。

私ももったいない気がしたが、荷物をフロントに預けるほどはメキシコ人をこのときはまだ信用していなかったのである。

昨日取れた飛行機の切符が6時発のものであったので、タクシーで空港に向かう。

こんなに早くから人が移動するのかな?と思っていたが、いざ空港に着くと結構人が多い。

チェックインを済ませ、セキュリティを通って搭乗待合室に入るとそこは別世界であった。

と言うのは、チェックインするロビーは殺風景で寒々した雰囲気があったのに、ここは絨毯が敷きつめられ、ブティックを始めいろいろな店があり、そしてなによりも昨日のバスターミナルとは客層が違うのである。

この時、初めてこの国の貧富の差の激しさを実感したわけである。

自分の恰好が恥ずかしく感じたほどここにいる人達の服装は華やかであった。

少し汚い恰好しすぎたかな?と後悔する。

1時間ほどのフライトでオアハカの空港に到着。

空港から町の中心まで乗合タクシーを使う。

さすがにここまで来ると英語が通じない。

スペイン語すら通じない村もあるそうである。

ここはインディオ達の州である。

相乗りタクシーは倉庫のような建物が並ぶ通りで僕を降ろした。

降りた時運転手がそばに寄ってきて、両替をしないかとの誘い。

この国で初めての闇両替である。

まだ、レートが分からないので断ることにし、ソカロは何方だともう一度確認する。

言われた方向にしばらく歩くと木がたくさん植えられている公園に着く。

緑の多い珍しいソカロである。

ソカロとは街の中心にある広場のことで、メキシコなどスペイン系の文化を持っている国では町を歩きはじめるのにはもっここいの場所である。

そして、先程倉庫と思っていた建物はこの町では普通のものである事に気が付いた。

壁にペンキで屋号を書いているものが多い。

**ホテルという具合にである。

まだ7時すぎで人影も少ないソカロで途方にくれてしまった。

なにしろ詳しい地図もないし、英語の分かりそうな人もいないし、ベンチに腰をかけ、一思案。

とにかく動こうと近くにいた警官に2等バスターミナルの場所を聞く。

ここからミトラ遺跡行きのバスが出ていると本に書いてある。

この国の警官の数は多い。

失業者対策のためとの話もある。

質が悪いから気をつけよと言う話も聞いている。

そこにいた警官も不信そうな顔で僕を見ていたが、話かけると笑顔に変わり、親切に身振り手振りで場所を教えてくれた。

かなり、複雑そうなので、また適当なところで誰かに聞けばいいやとその場所から歩きだした。

10分ほど歩くと、ジョギングをしている若者にあった。

この人なら英語が分かりそうだと声をかけると残念ながら駄目だと言う。

しかし、彼は僕に興味を持ったらしくいろいろ話かけてくる。

どこから来た?日本か。スポーツは何している?

野球か。俺はサッカーだ。

うまくなってプロになるつもりだ。

ミトラに行きたいって。

そうか案内してやろう。

まぁ、片言のスペイン語でよくここまで会話ができるものだと我れながら感心する。

彼が連れて行ってくれた所は市場であった。

その横にバスターミナルもあった。蠅が多く体にまとわりついてくる。

一種独特の臭いもある。

しかし、やっと旅行しているという気分がしてきた。

ここはまさに私が期待していたメキシコである。

彼と別れ、バスターミナルに入ると物貰いの年寄りや子供が寄ってきた。

手を差しだし、哀れそうな顔つきで話かけてくる。

すると、近くにいた男が寄って来てこれらの物貰い達を外に追い出して、僕に向かって、もう大丈夫だよって顔をする。

何かここには2種類の人間がいるようである。

階級がはっきりしていると言ったほうがいいかもしれない。

その男にミトラに行きたいと言うと、乗り場に案内してくれた。

切符はバスのなかで買えと言う。

その男が見張っているのでもう物貰いは寄って来なかった。

MITLAと書いたバスが来たので一番に乗り込む。

遠慮がちに一番後ろの席に陣取ることにする。

その後に綿菓子を棒にたくさんつけた男が乗ってきて僕の横に座ろうとしたが、僕と視線が合うとまた降りてしまった。

どこにでも外国人が苦手な人がいるのだなぁと気づく。

運転手が乗ってきたので切符を買おうとするが手を振るだけである。

しばらくすると荷物と客で満員になった。

東京のラッシュ並みである。

しかし、切符を買っている客が見当たらない。

そして、バスは発車した。

ゆっくりとしたスピードで町中を抜けていく。

途中でまだ客を乗せようとする。

不思議なことにもう乗れないと思ってもなんとか乗ってしまう。

町外れには、バラックの家々が続く。

先程の物貰いの人達はここに住んでいるのだろうか。

この町では自転車が流行っているらしく、新車と思われるものに乗って自慢そうに走っている少年をよく見掛ける。

サッカーチームの少年もよく見掛ける。

先程会ったジョギングの若者がサッカーをしていると自慢していた気持ちが分かった。

家庭がある程度裕福な証拠でもあるのだろう。

町を出ると一直線の道路になった。

これがパンアメリカン-ハイウエーであろう。

このバスのエンジンの限界ではないかと思えるくらいのスピードで走り出す。

郊外に出たと思うと前の方から人込みが揺れ始めた。

様子を見ると車掌が運賃を集め始めたようである。

後ろから集めるらしく、最初に僕の所にきた。

何か言ったのだが分かるわけないので、ミトラと言って2000ペソ(日本円で100円)を出した。

少なければ文句を言うはずである。

やはり、何か言ったので、ポケットをごぞごそしていると手を振ってもういいと言う。

なんかよく分からない。しばらくしてまた車掌が僕のところに来た。

お釣りがあったのである。

しかし、切符はくれない。

いや、無いようである。

誰も切符らしいものを貰っている気配がない。

よく、この乗客の数で間違えずに集金できるものである。

窓からの景色は乾燥したものが続く。土地もやせている。

この国の貧しさの原因はこの辺にありそうである。

途中の町で大部分の人が降りた。

ここで市が開かれているようである。

荷物もほとんど降ろされた。

いろいろな民族衣装を着た人達が行きかっている。

噂に聞くティアンギスと呼ばれる週一回の市に間違いないようである。

インディオの市である。

オアハカを出発してから1時間ほどで終点のミトラに着く。

白い家並みが印象的である。

鮮やかな民族衣装がさらに美しく見える。

しかし、バスを降りたのはいいが遺跡はどこにあるのだろう。

タクシーの運転手が2000ペソで遺跡までどうだいと声をかけてくる。

自分の足でと思ってしばらく案内板を探したが見つからず、不本意にもタクシーの世話になる。

5分ほどで遺跡に着く。

距離にして1kmほどである。

バスの料金とタクシー代を比較して???と思ったが、後の祭りである。

入り口で入場料を払おうとすると、今日は日曜だからいらないと言う。

そうか、今日は日曜なのだと変に納得してしまった。

 

ここの遺跡は日本に面白いところで関係する。

今は明治村にある旧帝国ホテルのモザイク模様はここの遺跡から借用したものである。

帝国ホテルを設計したアメリカ人、F.L.ライトが絶賛した遺跡であるからである。

なるほど遺跡の正面からの構図も、帝国ホテルを思い出させる。

遺跡の中に入る木のドアが閉まっていたが、ちょうどその時フランス人の団体がバスで到着してくれて、ガイドがそれを開けたので、その後について入ることにした。

中のモザイク模様はさらに素晴らしく、よくここまで細かくできたものだと感心する。

この文明を作った人達はどこに行ってしまったのだろう。

太陽が高く登ると一層暑さを感じる。ここは熱帯である。

日差しが強い。

家の壁を白くしている理由が分かった。

太陽の熱を避けるためである。

暑くなる前にオアハカの町に帰ろうと考え、タクシーで来た道を歩いて戻る。

途中で民芸品を手にいれた。

ここで手にいれた物が都会では0が一つ増えて売られていた。

とにかく物が安い。

たくさん買いたいが荷物になるのであきらめる。

残念だが、荷物が増えていろいろ他のものが見れないよりましであるからだ。

メキシコシティーからの荷物はカメラ一つであったので、バッグを買い土産をそのなかにいれる。

バッグも民芸品である。

少しは荷物を持っていないと今日のホテルが取れないかもしれないと不安になったからである。

バス停で待っていると反対方向のバスが止まり、車掌が僕を呼ぶ。

なにかと思って近寄ると来るときのバスの車掌であった。

とにかく乗れと言う。

他に待っている客は乗ろうとしない。

反対方向なのにいいのかな?と思って乗ると、しばらく走った後、Uターンして先程のバス停に戻った。

なるほど、特別に先に乗せてくれたわけである。

外国人には優しい土地柄である。

途中、来る時に止まった市が開かれている町に長く停車して、オアハカのバスターミナルに戻った。

そこでバスを乗り換えソカロに戻ると、ちょうど正午であった。

ソカロに面したホテルに泊まることにした。

窓から緑の多いソカロが見渡せるいい部屋である。

ソカロでは町のオーケストラが演奏をしている。

30人くらいの楽団で、みんな楽しそうに演奏している。

それを聞きながら昼食を取る。

旅のいい所の一つに昼間からビールを飲めるということがある。

ビールを注文すると必ずどの銘柄にするか尋ねてくる。

テカテというのを頼むとレモンが一緒に出てくるので、ついこれを頼んでしまう。

食事が終わると酔ったのか眠たくなる。

部屋に戻り昼寝をすることにする。

窓の外からはオーケストラの音が聞こえてきて、まさに天国である。

ふっと、頭の中が真っ白になる。

これが無我の境地と人は言うのであろうか。

初めての経験であった。

幸せの極致である。