どこかに行きたいなぁ〜旅行記〜

定年バックパッカー

メキシコ日記 7


オアハカの空港に着くと、がらんと人気が少ない。

あと、1時間余りでメキシコシティ ー行きの飛行機が出るというのに、人はパラパラ見掛けるくらいである。

チェックイン のカウンターも開いていない。

煙草が切れたので買おうと思ってポケットを手を突っ込 むと小銭しかない。

メキシコで小銭というと数十円くらいの価値しかないので、物を買 うときは紙幣が必要である。

銀行は閉まっているし、煙草を売っている店でUSドルを 見せても、それではだめだと言う。

仕方ないので取って置きのテクニックを使うことに する。

あまり使いたくない方法であるが、ヨーロッパ旅行中に覚えたテクニックである。

その時は偶然であったのだが。

数軒ある店でおばさんが店番をしているのをまず捜す。

そして、おばさんが後ろを向 いたときに、おじょうさんと声をかけるのである。

振り返る姿はおばさんの上機嫌の顔 となるわけである。

それに追い討ちをかけて、困ったような顔をするのが、もう一つ必 要である。

間違えたという事を相手に分からせないといけないからである。

よっぽどの 事でないかぎり、その後の頼み事は聞いてくれる。

今ではお嬢さんという単語は僕が、 その国に行ったらまず覚える言葉となっている。

その後のドルからペソへの交換は公定レートと同じもしくはよいもので換えてくれた 次第である。

無事、煙草を買った後で、昨日約束していたカップルがやって来た。

どうせ時間通り に出るわけないから、コーヒーでも飲もうと喫茶店に入る。

彼女が僕たちのチケットを チェックインしている間に、彼から彼女に聞かれてはまずい事を聞く。

それは、彼女の 妹は絶世の美人で彼女より妹の方がいいということである。

そして嬉しいことに妹は日 本の大ファンであるという。完全に期待してしまった。

大学生というから、若いし、・・・。

チェックインする時に、僕の荷物の少なさに呆れられてしまった。

小さなショルダー 一つだったからである。

このショルダーだってここオアハカで買ったものだというとま すます呆れられた。

荷物はメキシコシティーのホテルに預けてあると言ったのだが、ま ぁ、感心された。

治安の悪さを知っているからであろう。

飛行機は約1時間遅れで出発する。飛行機に乗っている間、中はがらがらだったので 席を移動する。

それは2人がいちゃつき始めたからである。人の目を気にしないのは、 フランス並みである。

2000万都市の夜景が見えてきて、無事到着。

 

バゲージクレームを抜けると、彼女 の両親、おばさんが熱烈歓迎である。

当然、私にではなく、国際結婚でスイスに行って いた彼女をである。

そこで、彼らに紹介され、家に車で向かう。

住所を聞くと、街のど 真ん中である。

日本で言えば、新宿の伊勢丹付近である。

すごい所に住んでいるなぁ、 と期待していたが、到着した所は人通りが少ない所であった。

車は道路に駐車してもい いらしくが、いつも自分が止めている場所に別の車が止まっていると憤慨している。

そして、案内された家がビルの最上階であった。

エレベーターはついてなく、階段の 感触からして、5階だったような記憶がある。

しかし、こんな所でもパティオがあった のには感心する。

トイレに行った時、窓から見えた。

居間に案内されて、もう一度自己 紹介する。

旦那が通訳である。職業を言った時は?てな顔をしていたが。

日本のレコー ドを持ってくる。

見てびっくり。琴、尺八などのたぐいである。

う~ん、ここではまだ 日本はこの程度の理解かと考える。

しかし、ステレオ(日本では旧式のセパレートの物 )でそれをかけてくれるが、マリアリッチの方がいいと言うと、家族が集まって、これ がいい、いやこっちの方がいいと議論が始まって、結局父親の意見が通り、それになる。

その父親はまだ封の切っていないレキーラと塩、そして、バッタの空揚げを持ってき て乾杯しようと言う。

コップは2ccくらいの小さなワイングラスである。

原液のまま 注いで、一気に飲む。

飲みっぷりが良かったのか父親は上機嫌で、次々注いでくれる。

塩をまず口の中に入れて、それから飲む方法を教えてくれる。

こうすると美味いという。 ソルティドッグの出所を知ったようである。

バッタの空揚げも、この酒に合う。

量は 食べれないが。スイス人の旦那は僕が平気で食べているのを感心して見ている。

よく、 食べれるなぁ、私は駄目だと言う。

結構、酔ったところで食堂に呼ばれる。

メニューはチレソースで煮込んだ肉、日本で もよく見掛ける黒豆の砂糖煮、トルティージャの焼いたものと、油で揚げたもの、オレ ンジジュースである。

あの辛さ、あの甘さ、僕はこれから少々の味の極端なものでも食 べれると自信をつけてしまった。

飛行機の中でも簡単な食事が出ていたので、あんまり 食べれなかった。

お替わりをしろとみんなが勧めてくれるけれど、お腹の中はいろいな 物が喧嘩している状態でもう食べれない。

しかし、こうすればもっと食べれると、トル ティージャに挟んで食べる方法など教えてくれるので、もうすこしだけ食べる。

旦那が 助け船をだしてくれて、食事は終わりとなる。

しかし、噂の妹がいない。

尋ねると、ま だ大学に残って研究していて、これから、迎えにいくつもりであると言う。

みんなに漢 字の授業をしばらくして、お暇することにした。

家族総出で家の外まで送ってくれる。 タクシーを止めて、値段を値切ってもくれた。

 

タクシーの乗った後、街灯だけがついている町並みを見ながら考えたことは、幸せと はなんだろう?ということだった。

今日は、僕の誕生日。

いい思い出が出来 た。

いい思い出を持っている事が、それに近いのではと思った。

ホテルの人も、まるで 自分の家に戻ったように迎えてくれた。

オアハカはよかったか?とか困ったことはなか ったか?と尋ねてくれる。

フロントの人はオアハカの出身である。

オアハカとはメキシ コのインディオの故郷でもあった。

その夜も、ホテルのカフェでソルティドッグを飲み ながら楽しい思い出にひたる事ができた。