午後の行動はメキシコ国立人類学博物館である。
ホテルから4kmほどであるので歩いていくことにした。
途中、太陽が見えたとおもうと、すぐ真夏に変わった。
先程まで寒さで震えていたのが嘘のようである。
上着を脱ぎ、シャツを腕まくりする。 中程のところでペセロと呼ばれている乗合タクシーで行くことに変更する。
目的の博物館はチャプルテペック公園のなかにあるので、入り口のところで降ろしてもらった。
乗っている間、運転手は私が日本人であるのを知り、お前空手できるか?と聞く。
柔道なら少し知っていると高校の時の授業を思いだし答えると、おれはテコンドオーを習って いると運転手は自慢をした。
公園に入るとそこは若者の世界であった。
今日は土曜日であったのを思い出す。
日本の祭りのように道の両端には露店が並んでいる。
綿菓子、とうもろこし屋、風船などまさに日本の縁日である。
途中の美術館などに寄り道しているうちに博物館に行く道から外れてしまい、大きな池のほとりに出た。
地図で確かめると、まったく違うところに向かって歩いていたようである。
昼食がまだだったので、屋台でハンバーガーとコーラを買い、ベンチに腰をかけ食べる。
ハンバーガーのなかに挟んであるチレと呼ばれる非常に辛い味がいける。
これなら、食欲が少々なくても食べることができる。
暑い気候のなかで生活する人達の生活の知恵であろう。
タバスコをたっぷり振り掛けたようなものである。
まわりの光景はあまりにものどかである。
午前中の光景が嘘のように感じられる。
子供たちの歓声がひびき、池が太陽のひかりできらきら光る。
幸せな昼さがりである。
100円ほどの食事であったが、元気を取り戻すには充分なものであった。
目的の博物館にむけて歩いていると、人だかりがあった。
人達の視線の方向は空にある。
同じように視線をむけるとそこには足にロープを結び、空中をくるくる廻っている人達がいた。
真ん中に20mほどの棒を立て、その突端からロープが伸びて彼らの足に続いているのである。
ロープは人達がまわるごとに伸びる仕掛けになっている。
棒の頂上には一人の老人が座っておりオカリナのような音がする笛で曲を演奏している。
次第にロープが伸びて、廻っている人達の頭が地面につくところで一連の踊りのようなものが終わった。
時間にして10分ほどであった。
しかし、そこでは時間がゆっくり流れていた。
これは本で読んだことがあったがこんなところで見れるとは幸運である。
この祭りの踊りがあったところが人類博物館の入り口であった。
一流ホテルかと見間違えるようなロビーを通り中庭にでると、一本の柱に支えられた50m四方もある大きな屋根が目に飛び込んできた。
メキシコの人には失礼だが、こんなにすごいものがここにあっていいのだろうか?と感じてしまった。
その柱は直径5m程しかなく壁を伝わって水が流れ落ち、まるで噴水が大きな屋根を空に押し上げているように見える。
UFOが頭の上に浮かんでいるようである。
ここではとにかく太陽の石を見たかった。
ある場所は分かっていたが、はやる気持ちを押さえ、古代からじっくりとメキシコの歴史をたどることにした。
しかし、土器などはどこの国でもよく似ている。
そのまま日本に持ってきて博物館に展示していてもだれも違和感はかんじないであろう。
土偶などもまったく同じである。
太平洋を越えても人類の歩みは同じであると感動する。
ただ、メキシコの土偶にははっきりと性器がついており、女性男性の区別がつくところは日本とちがっているが、違いはそこだけである。
鼎などは3本足というところまで同じで場所がちがっても神に対して人間の発想の共通点に感心してしまった。
人類学の専攻の大学生に混じって、学校の宿題なのか中学生らしい子供たちが一生懸命説明書きを写している。
あいにく英語の説明文がないので本で読んできた知識だけがたよりである。
しかし、百聞は一見にしかずのことわざの通り、貴重な体験であった。
目的の太陽の石は偉大で、そして人間に何かを訴えているように感じられた。
そして当たり前のことだが、日本で見た写真と同じものが本当にあった。
バスでホテルに戻り、今日買い集めた本を部屋に置き、再び街にでかけた。
もうすでに夕暮れで街灯がつき始めていた。
今までみた街はメキシコシティーの新しい部分であったので、中世の面影が残る旧市街を歩くことにした。
歩いてみると、そこはヨーロッパであった。
石造りの建物はまさにそのものであり、ただ歩いている人達がメキシコの人である。
なにか期待はずれを感じ、その街の中心であるソカロから家路を急ぐ人達に混じってメトロに乗った。
行き先はどこでもよかった。
しばらく乗ると、地上に出た。
人込みに揉まれて、適当な駅で降りてホームから街を眺めてみた。
確かにここはメキシコである。
しかし、今日見てきた文明はどこに行ったのであろうか?
ホームのベンチにしばらく座っていると空腹を感じた。
そういえば、この町の一番の繁華街に行っていなかったのを思いだし、メトロを乗り継ぎ行ってみた。
そこもアメリカ文明の吹き溜まりであった。
やけくそで、まさにアメリカ文化というファミリーレストランで、フライドチキンをつまみにバドワイザーを飲み、明日はこのアメリカから逃 げだそうと決心した。
この近くにホテルを取らなかっただけでも幸運であったが。
ホテルに戻って、パブでメキシコのマルガリータを飲みながら聞いているとだんだん平常心もどってきた。
しかし、皮肉なことにこのカクテルもカリホォルニアで考えられたとの事。
中に入っているテキーラだけがメキシコである。
明日はオアハカである。
今日、ふと立ち寄った飛行機会社で手に入れた航空券を見ながら眠りにつく。