30年前、初めて行った台湾で
いろいろ親切にされた記憶が忘れられず、
翌年、また台湾を訪れていた。
二回目の目的は、列車で台湾一周。
台北に着くとすぐにバスで台北駅に向かい、
予約などするわけもなく、窓口で切符を買える中国語も話せないので、
とっておきの方法で列車のチケットを手に入れる方法を取った。
その方法とは、「月台票」の一言だけ覚えておき、駅の窓口で入場券を買う。
そして、ホームに降りて、適当な列車に乗り込む方法である。
当時は、優等列車はほぼ満席が普通で、当然立ち席となるわけであるが、
それでも車内でチケットが買えるという荒業である。
いい子は真似してはいけない方法である。
そう、この記憶がとんでもない事件に発展していくのである。
今回、台湾人気路線である、平渓線に行くためにこの方法を使うこととした。
ただ昔と違っているのは、suicaの台北バージョン、悠々カードなるものができているので、
このカードを使っていけるところまで行き、その先を買い足すこととした。
まずは、台北駅に入場し、ホームへ降りた。
昔と違い、近代的になった台北駅。
ホームも地下へ移っていた。
しばらくすると、列車が入ってきた。
日本の列車で言うと特急列車にあたる自強号である。
乗り込むと予想通りガラガラである。
適当なところに座り、乗換駅となる瑞芳駅まで乗ることになる。
台北駅を出発し、最初の停車駅である松山駅を出ると、列車は地上を走ることとなる。
ちょうどその頃、車掌が検札にやってきた。
悠々カードで乗ったことを告げ、行き先である平渓線の十分駅に行きたいという旨を、
筆談とジェスチャーとさらに、英語と日本語で伝える。
すると、チケットは売れないという。
なぜ、どうしてと聞くのだが、車掌の中国語は分からない。
ただ、ひとつ聞こえたのが、ノンストップと言う言葉。
そして、見せた時刻表。
この列車、花蓮まで約2時間ノンストップで行く。
後で調べて分かったのだが、一日に数本、このノンストップ便が走っていた。
その少ないノンストップ便に乗ってしまったわけである。
パニックに陥って、しばらく思考停止になったが、
途中、臨時停車で降ろしてくれるはずもなく、
花蓮までのチケットを買うこととなった。
ただ、不思議だったのは、こんなとき猛烈に私をけなすはずのカミさんが静かな態度。
聞くと、台湾の事前調べで台湾列車の旅の本を読み、この列車で花蓮まで行きたかったとい
う。
彼女にとっては、まさに結果オーライなわけである。
車掌から買ったチケットの記録はないが、帰りの切符はこんな感じです。
片道ひとり約1000円。
二人で往復だから、臨時出費4000円の旅となりました。
せっかくの花蓮なので、少し観光をしてから、帰ることにする。
初めての街ではないのだが、30年前の情報しかない。
駅から街の中心部へのバスがあるのは覚えているのだが、
駅前の様子は浦島太郎状態。
30年の月日の流れはすごいです。
あのド田舎の町が、近代的な都市へとなっています。
太魯閣峡に行かないかと言う日本語セールスを軽くあしらいながら、
バスに乗り、中心部へ向かう。
昼も近づいてきたので、早めの昼食にと店に入ってみた。
入ってみて、激安。
いいんでしょうか。
小籠包10個で150円。
スープつけて、60円アップです。
街は近代化され立派になったが、物価はまだ昔のままです。
台湾、田舎バンザイです。
昔の面影を探してうろつくのですが、見つかりません。
昔見た海岸線に向かって歩くのですが、歩いても歩いても海らしいところにたどり着きません。
30年の間にかなり埋め立てが進んだようです。
暑さでギブアップで、ジュースタイムです。
生ジュースが美味しかったです。
その後、いろいろ歩いたのですが、結局海にたどり着きませんでしたが、
街の郊外までは歩いて行けました。
最後は体力の限界を感じ、タクシーで駅へ引き返しました。
カロリー補給のために、駅の売店で食べ物を探したのですが、
結局買ったのが、チマキの大きいもの。
昔懐かしの味でした。
昔はこの後、花蓮に一泊したあと、台東に向かいました。
今は一周の線路が完成しているが、その時代、台東が東海岸線の終点でした。
そのため、台東でさらに一泊。
その先はバスで移動し、あまりにも疲れたので、台湾の最南端リゾートへ。
墾丁では、できたばかりの墾丁凱撒大飯店に泊まり、
憂さ晴らしに豪遊した記憶があります。
ちょっとしたミス…カミさんに言わせると、大きな事件で、
懐かしい思い出の場所を訪れることができました。
これも、まあ運命と言うことで・・・
このフレーズ、台湾の道教の寺院で聞くと、説得力ありますよね。
今日もお付き合いありがとうございました。