四国、松山で育った私にとってそれほどうどんという食べ物は重要な位置付けではなかった。
大学時代、四国を離れ東北仙台に住むようになると、東日本で食べる黒い汁の中に浮かぶうどんはと自分が知るうどんとは別物の食べ物であった。
そして、帰省の際、宇高連絡船の中で食べるうどんは、これこそ「うどん」という感激ものの食べ物となっていった。
当時、新幹線は岡山までしか開通しておらず、ましてや、瀬戸大橋なるものは夢の架け橋として四国住民の憧れのものであった。
そのため、四国に本州から渡るためには岡山で在来線に乗り換え、宇野まで一時間ほどの行程が必要であった。そして、駅に着くや否や、乗客の船への競争が始まる。
その目的は船の中の席取りだけでなく、席に荷物を置いた後、後部甲板にあるうどん屋さんへの順番取りとなる。
早く並ぶことができると、何がいいことがあるかというと、二杯食べれるという特権が手に入る。
少しのんびりしていると二杯目を食べようと思っても売り切れとなる。
この宇高連絡船のうどんの何がいいかというと、私的には上に乗っているアゲが涙ものであった。
うどん自体生ぬるい茹で方でそれほど美味しいものではないが、汁と上に乗っている油揚げのコンビネーションは、当時、四国でなければ食べれないものであった。
その味が、未だに香川「うどん県」にうどんを食べさせに行かす原点となっている。
最後の写真は、うどん好きならピンと来るところ。
手近に手に入った写真を貼り付けたが、また、食べたくなるものばかりである。
退院したら、まずは「うどん巡礼」です。