京都 あだし野

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嵐山花灯路レポート 最終節

私は学生時代、国語が苦手であった。

お前は日本人かとみんなの前で罵倒されたこともある。

それまでに、いろいろ伏線はあったのだが・・

よく国語の先生には怒られた。

その先生はコウロギというあだ名を持っていた。

自分でも、自己紹介で使っていた。

なぜ、コオロギか・・

それは、彼の声を聞いていると、秋の夜に吸い込まれるように眠れるからである。

彼は親切である。

大事なところでは起こしてくれる。

そして、普段はたっぷり受験生の睡眠不足を解消してくれた。

国語は苦手だったが、徒然草は好きであった。

今でも、酒を飲む時は土器に味噌があればいいと思っている。

そして、人生の無常を教えてくれた。

次の一文は徒然草の中でもよく知られたものである。

あだし野の露消ゆるときなく、

鳥部山の煙立ち去らでのみ、

住み果つるならひならば、

いかにもののあはれもなからん。

世は定めなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、

人ばかり久しきはなし。

かげろふの夕べを待ち、

夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。

つくづくと一年を暮らすほどだにも、

こよなうのどけしや。

飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、

一夜の夢の心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、

何かはせん。

命長ければ辱多し。

長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、

目安かるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、

かたちを恥づる心もなく、

人に出で交じらはんことを思ひ、

夕べの陽に子孫を愛して、

さかゆく末を見んまでの命をあらまし、

ひたすら世をむさぼる心のみ深く、

もののあはれも知らずなりゆくなん、

あさましき。

この歳になると、いろいろ心にしみる言葉が多い。

その、冒頭に出てくる、あだし野に出かけてみた。

観光客で溢れている京都では珍しく、静かな観光地である。

まさに、徒然草の世界である。

観光客はほとんどいない。

ここで会った人は全てで10人ほどである。

それくらい少ない。

ここはかつて風葬の地。

人生の無常が漂うところである。

やはり、外国人にはそそられるところか、ここまで自転車でやってきていた。

人一人歩いていない古い京都の街並み・・・

なんか、逆にシュールです。

ここには、たくさんの無縁仏を葬った念仏寺がある。

無数の石塔が境内を埋め尽くしている。

そして、その奥に竹林が・・

写真を撮るなら、嵐山の竹林よりいい。

人もいないし・・

ここに行くには路線バスを使う。

清滝行きのバスに乗るといい。

降りる場所がわからなかったので、運転手にあだしのの写真を見せた。

親切に、観光の仕方まで教えてくれた。

いい旅ができた。

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