どこかに行きたいなぁ〜旅行記〜

定年バックパッカー

メキシコ日記 2


目が覚めるとまだ朝の4時であった。

もう眠れそうにないので、今日の予定を立てることにしてガイドブックに目を通していると地下鉄は朝早くから動いているようである。

朝食はバスセンターでとればいいやと思い、薄暗いうちから移動開始する。

今日も雨である。

道には人通りがほとんどなかったが、地下鉄の駅にもぐると人がパラパラ歩いている。

改札は自動改札であるが、駅のなかには多くの警官が立っている。

治安の悪さを感じる。

客層は若い者とインディオが多い。

日本人が珍しいのか、ちらちら僕の方を見る客が多く緊張してしまう。

パリのメトロを参考にして作ったと聞くが、本当によく似ている。

むしろ、こちらの方が綺麗かもしれない。

字の読めないの人が多いそうで駅ごとに印となる絵が大きく書かれている。

車内の案内もその絵が駅ごとに書いてあった。

途中で乗り替え北部バスターミナルに着くと人込みであふれていた。

雨のため外で店を開くことができないのか、駅とバスターミナルを結ぶ地下道にインディオたちが露店 を開いている。

バスターミナルは日本の感覚では考えられない位大きい。

メキシコシティーのバスターミナルが4箇所に分かれているのを納得した。

もし一つにまとめたら迷ってバスに乗るどころではないであろう。

バス会社自体が個人営業の形に近いものが多く、一日5便という会社のカウンターも見受けられる。

国内交通をほとんどバスでまかなっているからでもあろう。とにかく大きい。

人種も雑多でまるで国際空港のようである。

しかし、ここも所得の低い人達が多いようである。

飛行機を除き、メキシコでは公共機関を金持ちは使わないようである。

ここにいた白人の多くはアメリカの若者である。

スナックカウンターでハンバーガーと緑茶に似た紅茶(うまく説明できない)で朝食 をすます。

そのあとテオティワカン行きのバス乗り場を探すがなかなか見当たらない。

たどたどしいスペイン語でなんとか探しあて、バスに乗る。早朝なので乗客は5、6名 である。

町の郊外の住宅地域を抜けるとそこにはスラム街が広がっていた。

壁や屋根はどこで集めてきたのか、看板や古いトタンで出来ている。

日本の会社の広告が入っている看板もあちらこちら見える。

まるで、戦後すぐの日本の焼け跡住宅を見ているようである。

バスはその中を貫いている高速道路を100kmのスピードで走っていく。

1時間もしないうちにテオティワカン遺跡に着く。

開門まで1時間前であったが、係の人が中に入れてくれた。

誰もいない廃墟のなかに入った。

門番の人が飼っている犬が道連れである。

雨の降るなか遺跡の中心にある死者の道を歩いていく。

まわりの光景は石造りの風化した宮殿が続く。

20分ほど歩くと太陽のピラミッドが見えてきた。

世界で3番目に大きいピラミット。

多くのいけにえの上に立つピラミッドである。

 

そしてその先には月のピラミッドである。

まず、月のピラミットに登って遺跡全体を眺めたいと思った。

なんといっても人がまだ誰もいないのである。

昔のままの光景が見れるはずである。

急な勾配の階段を犬と一緒に登る。

かなりきつい運動である。

 

上に登って振り返るとそこには広大な遺跡群が広がっていた。

雨はあがっていた。

煙草をふたしながら、眼下に広がる光景をしばらく見ていた。

目に映る遠くの山々には緑は少なく、あかちゃけた大地がむきだしになっている。

この遺跡がここに出来た理由がよく理解できる。

まわりの山がちょうど遠巻きにこの街を取り囲んでいる。

遠くを列車が通っていったが、音はすぐ近くを通るように聞こえる。

反響がいいのである。

今、私が座っている場所で何人に生贄が神にささげられたことであろうか。

生きたままに人間から心臓をくりぬき、血を神に捧げる祭り。

現代人からみれば野蛮であるが彼らにとっては、太陽がなくなるかどうかの瀬戸際の祭りである。

日本にいるときに読んだ本の内容が頭のなかでよみがえってくる。

まわりに誰もいない。

だんだん不気味になり、ピラミッドを降りた。

ついてきていた犬はつらそうに一緒に降りようとしている。

犬にとってはどうでもいい歴史であろう。

月のピラミッドの横にあるジャガーの宮殿を見ていると突然人が現れた。

この雰囲気のなかだけにびっくりさせられた。遺跡の管理人であった。

朝の掃除である。

なにか言われるかと思ったが黙って私を見ただけであった。

宮殿の中の壁画も綺麗に残っている。スペイン人の破壊はインカほどではなかったようだ。

しばらく、空は灰色、建物も灰色というモノトーンの世界でさまよった。

次第に観光客もぱらぱらと見え出してきた。

体より精神のほうが疲れる。しかし、帰りたくない。

その気持ちを押さえ、遺跡を後にした。

帰りのバスが待ってもこないので、30分ほど近くの街まで、雨風にかわった天気のなか歩く。

さきほどの光景が頭のなかでくるくるまわって辛い道のりであった。

小さな街についてほっとする。

生ている人間を感じられて、ほっと安心した。

さきほどから私を苦しめていたものは、死んだ世界であったようだ。

満員バスに乗り、現代の都会に帰った。

 

  30年前の日記の一部が見つかりました。 分けて載せています。