まだ、インターネットというものはなく、安いチケットを買おうと思ったら、
雑誌の広告に載っている怪しげな会社電話して買っていた時代。
日本国内発券と海外発券り値段がべらぼうに違う時代があった。
旅慣れた人たちは、日本交通公社(いわゆるJTB)や近畿ツーリストでは買わず、
バンコクやソウルで発券して、安く海外旅行を楽しんでいた。
ちなみに、怪しげな会社の名前は、秀インターナショナル。
今はHISになった。
私が香港で買っていたチケットは香港発のファーストクラスの片道切符。
値段は、香港から日本の料金が7万円ぐらいだったと記憶する。
当然、航空会社の店舗で買ったものだから、正規のもの、いわゆるノーマルチケットと言われ
るものである。
ただし、行き先は日本を通り越して、グアムなど近場を買っていた。
香港から、日本に帰ると、日本からグアムのチケットが残る仕組みである。
なんで、ファーストを買っていたかと言うと、ファーストなら当日でも席にが空いているからである。
その時代、私は仕事が忙しく、日曜も休めないほど忙しかった。
たまに、まとまった休日が突然現れる仕事で、休みの予定が立たなかったためである。
翌日から旅行に行こうとおも売ったら、航空会社に電話する。
そして、予約するわけである。
口頭だけで終了する。
さらに、ファーストクラスに乗るとなると、行き先のホテルもその航空会社が予約してくれる。
インターネットがない時代、非常にありがたいサービスで、お値段も格安で泊まれた。
さて、行き先が変わった場合は発券した航空会社に行き、エンドース、日本語で裏書といわれる処理をしてもらう。
そのチケットを持って、当日予約した航空会社の空港カウンターに行けば差額を計算して請求が来る。
この時も、香港で買ったという前提で計算するものだから、これまた安い値段で乗れた。
これを毎回繰り返していたわけである。
この仕組みは実際の為替と航空業界の為替が違ったためにできていたわけで、
残念ながら、徐々に料金の差は縮まっていった。
この時代、気が向いたら海外に行けるというスペシャルチケットを持っているだけで、
何か幸せを感じていた次第である。
香港がいつでも行ける。
そう思っていた時代でもあった。
香港カーブと呼ばれる、ビルすれすれの着陸が楽しめた
啓徳空港の時代でもあった。