20年前に、ハノイ在住の友人に呼びつけられた時の日記です。
一部出てきたので載せさせてもらいます。
ハノイ空港
ハノイ空港の入国は簡単であった。
列に並び、係りにパスポートを見せるだけである。
係官は隣と雑談しながら、スタンプを押した。
一つの質問もなく顔を一瞥しただけであった。
あまりにもあっけない入国である。
香港に二泊までとったビザだけに何か空しいものが残った。
到着ロビーも閑散としたものであった。
出口付近には迎えの人たちが集まっていたが、そこを抜けると閑散とした到着ロビーが広がっていた。
張り詰めていた気持ちが一気に抜けていくのが分かった。
日本の地方空港より静かである。
ロビーを出てもタクシーを自分で捜さないと分からない。
大体客引きか案内の人がいるものだが・・。
ベトナムドンへの両替を忘れていたので、再度ロビーに入るが、両替の場所が見つからない。
案内カウンターに行き、両替できる所を聞くと、ここだと言う。
案内所兼両替所である。
香港の厳重なガードの両替所と比較すると何と治安のいい国であるか分かる。
このカウンターに人がいない時すらある。
タクシーでハノイ市内へ
客引きに会うこともなく、タクシーに乗り込む。
少しは客引きの歓迎も受けたいものである。
走り出した車はすぐに高速に入った。
あいにくの雨のため視界は悪いが、のどかな田園風景が続く。
それも、道路に牛が歩き、人が歩く、何に増してもバイクが圧倒的に主人公の高速道路が続く。
このバイクの群れは曲芸を披露してくれる。
圧巻は、後ろにまだ3、4歳と思われる子供を乗せたものであった。
左手を子供の背中に回し、右手一本の運転である。
それも土砂降りの雨の中である。
水溜りによくハンドルを取られないものである。
そして、フルスピードで車との競争である。
車のほうも負けてはいない。
常に、右手はクラクションに置かれており、絶えず手は上下運動を繰り返している。
時折、手が疲れるのであろう、手首を振るほかは常にクラクションを鳴らしている。
バイクをかき分けながら、タクシーが走る。
その合間に人と牛の障害が入る。
嬉しいハノイの歓迎セレモニーであった。
タクシー運転手の企み
連れて行かれたホテルはニッコーホテルであった。
私の泊まるホテルはヒルトンである。
間違いに気づいた運転手は何度も自分が馬鹿だという仕草を繰り返す。
そして、これからは市内観光であるという仕草を私に何回も繰り返す。
私はわからない振りをするのだが、走らせながらも何度も繰り返す。
イエスかノーかを言えという。
その繰り返しのうちにヒルトンについた。
しかし、ホテルの前の道路で車は止まった。
ここからホテルに歩いていけという。
まずはホテルのエントランスまで行けと言うが、車がエンジンが動かなくなったという。
エンジンキーを中途半端に廻しては、顔を私に向け動かないと困った顔をする。
魂胆が見えた。
約束の10ドルの値段を遠回りをした分増額せよという意味である。
乗る時に20ドル札を見せ、釣りがあるかを確認して乗ったのが悪かった。
ここで降りることになれば、次の彼の言葉は釣りがないという筋書きである。
ニッコーホテルに間違えたのも、その後自分は損をしてしまったという身振りの繰り返しも、全て彼が作ったストーリーであった。
最後は、エンストである。
すばらしいあらすじである。
こうなれば根競べである。
何度も繰り返した後、降りようとしない私に諦め、しぶしぶ車を動かし、ホテルの前に横付けとなった。
すぐにドアボーイがドアを開けた。
20ドル札をドアマンに渡し、10ドル札に交換を頼む。
運転手の顔に動揺が浮かぶ。
交換された10ドル札を運転手に渡すと何か言いそうである。
しかし、横にドアマンがいる。
これ以上の額を要求すると、その後どうなるかはここまでのストーリーを考え出した聡明な運転手には分かるはずである。
何か言いたそうな運転手に10ドルと、財布の中にあった1ドル札を渡した。
彼のパフォーマンスのご祝儀として。
この時代、まだ日本人がベトナムでは珍しい時代。
日本人言えば、金持ちとみられる時代でした。
ヒルトンの宿泊費は大体一泊1万円ほどでした。