これまでに、アジアの大きな街を見てきいる。
ソウル、北京、上海、台北、香港、ハノイ、ホーチミン、シンガポール、デリー。
それぞれにいい悪いは別にして、個性があり、それなりのインパクトで私を迎えてくれた。
しかし、どうもバンコクはインパクトに乏しいようである。
そこそこに文明的で、そこそこにアジア的で、治安もそこそこで、物価もそれなりである。
食事も美味しいし、ホテルのサービスもいい。
人々は微笑の国の名のごとく、笑顔で応対してくれる。
不満ないのだが、旅行に来てよかったという、これといった満足感をあたえてくれるものがない。
時間をかけていろいろ見れば見つかるのであろうが、
どうも・・・・である。
バンコクの骨格となす、チャオプラヤ川の船に乗ってみる。
朝なので、観光客より、通勤客が多く、人が多く乗っているが、静かな船の中である。
人々が乗り、乗りて行く。
船が下流に行くほど、ホテルが増えてくる。
聞いたことのある名前のホテルが続く。
マンダリンオリエンタルというアジアでは指折りの有名ホテルの前を通ると、
一人の老人がバスロープ姿で従業員を従え、チャオプラヤ川の魚にえさを与えていた。
バンコクは、ヨーロッパの人たちにとって、植民地アジアの中の都会であったのであろう。
昔、未開のアジアの中で、一番苦労せずにアジアを味わえる場所がバンコクであったのであろう。
それは、いまの我々にもいえることで、なんともゆるい雰囲気を漂わすまちである。
そして、今、タイの政治体制が今、軍政になっている。
タイ人独特の穏やかな微笑みから考えられない政治的対立が戒厳令という結果をもたらした。
しかし、タイ人でも華僑系の人は裏表が激しい人たちでもある。
元々のタイ人と華僑系のタイ人が対立していると考えるとなるほど仕方がないのかなとも思う。
タイはチャオプラヤの豊かな恵みの中で仏教国として平和な国として、長く植民地にならずに独立を続けてきた。
しかし、最近は経済的なものは華僑系ににぎられつつある。
とチャオプラヤの流れもだいぶ変わったのかもしれない。
そんなことを考えながら、暁の寺を訪れていた。